見た時は気になるのだけど、すぐに忘れてしまう。
そんな存在ないだろうか?
例年より雨量の少ないカンボジア。
そのせいもあって、トンレサップ湖のボートクルーズが順調に行っていないと聞き、先日現地を調査してきた。
確かに水が少ない。
ボートのプロペラが水底に当たり、前に進まず、渋滞している箇所があった。
人がボートを押すなどして、対応していた。
観光に時間は掛かるが、これから雨量も増えるし、催行が中止になるような事はなさそうだった。
伸縮する湖であるトンレサップ湖にしてみれば毎年の事なので仕方の無いことだろう。
この時何故だか、ふと、前から気になっていた「ある場所」を思い出した。
ボートクルーズの際に見える場所。
私はそれを「天空城」と勝手に呼んでいた。
プレアヴィヒアなどは正に「天空城」と呼ぶにふさわしいと思うが、なんとなく勝手にそう呼んでいた。
ふと振り返ると、それは見えた。
近い。
今しかない。
この時何故そう思ったか判らない。
雨季になれば、水の底になるであろう場所を、私は、「そこ」に向かって、まるで焦っているかの様にバイクを走らせた。
草の生え具合からすると、やはり乾季の間は、ここに水は来ないのだろう。
人の痕跡は赤土の道のみだと思っていたら、突然洗濯物が干してあり、驚きつつも先に進んだ。
10分程バイクを走らせれば、「それ」の足元へと辿り着いた。
高さ15mはあるだろう。
柱の中央が汚れている。
水量が多い時はあの場所まで水が来るのか。
階段が2箇所ある。後で増築したんだな。
近くで見る事で、これは建設途中の寺院であると判ったが、なんとなく感慨深く、私はしばらくこうして眺めていた。
上からの景色は良かった。
高さもあり、水辺が近いせいもあるのだろう。
風が冷たく、心地良い。
寺院の内部は既に装飾が施されており、小さな祭壇もあった。
しかし、建設が進んでいる様子は無い。
時々は人が来るのか、花が活けてある。
場所の特異さと、建設途中の寺院、内部の綺麗さに違和感を感じたが、この時は上手くそれを表現出来ないでいた。
戸惑いつつも外に眼をやる。
そこはまるで海のようだった。
頬にあたる風も塩気を含んでいるような気がするから不思議だ。
集落も一望出来る。
ある種の優越感に似た感情を覚える。
そう考えると先の事にも合点が行く。
平地の多いカンボジアでは、高いところに登るという事は、神に近づく行為なのだ。
高い場所に小さいながらも祭壇を設け、神に祈る。
外は汚くとも、神の住まう場所だけでも綺麗にし、自分も神に近づく。
「天空城」
勝手にそう呼んでいたが、これを作った人は、それに近いものを目指そうとしたのかもしれない。