カンボジアの抱える問題の一つにゴミの問題がある。
写真にあるようなシェムリアップ川だけでなく、住宅街は勿論、郊外の田畑や、果ては遺跡の中まで、あちこちで大量のゴミを見かける。
昔のカンボジアでゴミと言えば、そのほとんどが天然素材だった。
食料は勿論、その包みも天然の物。
その為、そこらへ放っても、自然に分解されていた。
しかし、外から持ち込まれた化学物質、つまりビニールやプラスチックも同じように扱ってしまった。
その結果が現状の有様なのだろう。
その昔は日本もそうだった。
私の実家の近くのダム近辺には大量のゴミが埋め立てられ、さらに不法投棄を繰り返し、ダイオキシン問題が持ち上がるまでは放置されていた。
そして、さらに住宅問題である。
川沿いにあるこういった家は、5ヶ月後の取り壊しが決定されたそうだ。
僅かながら、立ち退き料が支払われている為、住民の反発はない。
確かに景観を損なうと言えばそうかも知れない。
ここの住民も立退き料を貰い、少しでも新しい家に住みたい。それは本音だろう。
またここの住民がいなくなれば、川のゴミも少しは減るのだろう。
しかしだ。
区画整理を繰り返し、インフラ整備を行った日本の都市部の景観はどうだろう?
あれは美しいのか?
灰色のビルが立ち並び、大手チェーンの店、ガソリンスタンドにパチンコ屋。
日本中の国道の何処を通っても個性の無い同じ景色ばかり。
昔は日本の駅のガード下にもあんな店が並んでいて、安く食事をしていた。
500円玉で焼き鳥と焼酎を飲んでいた頃を思い出す。
確かに便利だろう。
台風に地震、地盤沈下に土砂崩れと環境の厳しい日本では必要だったのかも知れない。
それをここに求めるのは果たして正しいのだろうか?
シェムリアップ川の土手がコンクリートで埋まるとしたら、賛成しますか?
ゴミを減らす為に住民を減らす事は違うんじゃないのか?
前にも書いたが、外国人のエゴ。
そうかも知れない。
ただ、こんなに快晴の空の下で、コンクリートの土手を想像する事が出来なかった。
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