夜7時。
街の喧騒を離れ、繁華街の方よりシェムリアップ川を渡る。
すると大通りより僅かに行った寺から大きな太鼓の音が鳴り響いてきた。
中を覗くと、それを合図にしていたのか、修行をしていたらしい僧侶達がお堂へと集まって行くのが見えた。
ふと興味が湧き、後に続いてお堂へと歩みを進める。
しんと静まり返ったお堂には、既に20人程の僧侶達が集まってそれぞれ静かに神への礼拝を捧げていた。
程なくして高僧と思われる人の合図を皮切りに、一斉に読経が始まった。
僧侶達の口から発せられたお経は、それぞれが共鳴し、お堂を震わせながら、やがて一点に集まり私の脳髄へと届く。
それには意味を持つ言葉というよりも、もっとはっきりとした意思のような物が感じられ、私は思わず眼を閉じて聞いていた。
そうして聞く敬虔な仏教徒達の祈りの声は、まさに「神秘的」だった。
現在のカンボジアの宗教は南方上座部仏教である。
私が訪れた寺の名はワット・ボー。
シェムリアップにある寺の中で最も古いらしく、ここのお堂は300年以上の歴史があると言う。
タイ占領下、フランスの支配、2度の大戦、ポル・ポト時代と、激動の時代を乗り越え、今尚、現地の人達の精神的支柱として存在している。
私がこちらに来たばかりの頃、一人の僧侶が「君は仏陀を信じているか?」と聞いて来た。
その眼があまりに真剣で、答るのに躊躇してしまったことを覚えている。
実はアンコール王朝以前にはすでに仏教はこちらへ伝わって来ていた事が判っている。
その頃よりカンボジアの寺院は、その宗教を幾度か変えつつも、集落の中心として機能してきた。
このお寺は激動の時代を乗り越えて来たのではなく、ここが寺院であったから乗り越えられたのではないか。僧達の読経を聞いた今はそんな風に思える。
アンコール王朝時代の寺院ばかりが注目されているが、現在の仏教寺院も大変興味深い。
宗教に触れる事はその国の文化の中心に触れる事に等しいのではないだろうか。
時間があれば現在のお寺を訪れるのもお勧めである。
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