ここ数日、これまでの水不足を補うかの様に多くの雨がカンボジアの大地に降り注いだ。
しかし下水工事が功を奏したのか、去年の様な氾濫は少なく、シェムリアップ川は静かに水を運んでいる。
街中を見ていると何事も無いかの様だが、地方に行けば違和感を感じずにはいられない。
先日カンボジアのメディアで井戸の問題が取上げられていた。
それは「遺跡周辺地域での無秩序な井戸乱掘の為、地盤沈下で遺跡が崩壊の危機に面している」、といった内容であった。
この記事を見て、私の感じる違和感とは正に井戸にあることを実感した。
ここカンボジア、特にアンコール王朝の歴史は水と共にあったと言われている。
事実、メコン川やトンレサップ湖と言った豊富な水資源がある。
これが在るからこそ、狩猟をし、農耕もでき、有事の際の食料にも困ることは無く、着々と発展した。
これほど水が豊富な地に、井戸があるという違和感。
また、ここ数年日本では井戸などほとんど見かけなくなった。
2000年頃までは私の実家でも井戸は使用していたが、ダイオキシンや大腸菌、さらには地盤沈下、子供の転落など様々な問題があり使用をしなくなった。水道設備が整ったのも大きな理由ではあるのだが。
日本でも問題になっている井戸が、日本の支援で各地に掘られている違和感。
数年の後に日本と同じ問題が起こるのでは?とは考えなかったのだろうか。
日本は多くの国を発展途上国と呼んでいる。
だが、その日本にある物の全てが、正当に発展を遂げた物なのだろうか。
かつて老子は「上善如水」と説いた。
しかし、水は低い方へしか流れない。
残念な事に上ばかりを目指す人には、その言葉は響かない。
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