カンボジアで刺青のことを「サッ」と言う。
僧侶のように宗教的意味合いで彫る場合もあれば、軍人などは戦時中での弾避けのまじないであったり、戦死した場合、身元を判別する為の固体識別の意味を込めて彫る場合もあるようだ。
全く違う意味合いのようだが、そこにはある共通した「想い」が込められているように感じた。
かつて日本では、罪を犯したものは「犬」という字等を彫られた為、それを隠す為に他の箇所にも彫りを入れたとされている。そのせいか、日本では、刺青というと反社会的な側面が強い。
しかし日本にも前述のような想いがあったのではないかと思う。
日本にも刺青を持った有名な方がいた。
遠山の金さんではなくて。
それは「いれずみ大臣」とも言われた、小泉又次郎氏。
彼は軍人になりたかったが、家業を継がねばならなかった。
その際、軍への入隊をすっぱり諦める為、刺青を入れ、鳶職人への道を選んだとされている。
そこにある「想い」とは「覚悟」ではないだろうか。
一生神に仕える。
弾丸を恐れず立ち向かう。
例え死んでも家族の側に戻りたい。
そういった想い。
最近は欧米に限らず、日本でも刺青の芸術的な面をばかりを見て彫りを入れている人を多く見かける。
それも良いだろう。
しかし、覚悟を決めている人の彫りは、それらとは違って、美しく輝いて見える。
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