西暦802年
ジャヤバルマン2世はここで神となった。
ここから、山岳崇拝と神王崇拝、さらにヒンドゥー教を織り込み、クメール教とも呼ばれる宗教が発展を始める。
アンコール王朝が崩壊し、幾度も王が変わり、政権の在り方が変わっても聖地として受け継がれてきた。
現在でもここには多くの人が訪れる。
その多くは観光客よりも、現地の人々の方が多い。
カンボジアの人々は、来世の為、現世で功徳を積む。
お参りの際に、神への貢物や、物乞いへの寄付も功徳の一環として習慣づいている。
それを狙ってなのだろう。その参道付近には、物乞いの姿が多く見られた。
中には10歳にも満たないような子供の姿もある。
参道を登ると、約9.4mあると言われる涅槃仏が静かに横たわっていた。
その表情はこの地、果てはその他諸々の全ては些事に過ぎぬとでも言っているかの様だった。
山上には2つの滝があり、平日にも関わらず多くの人が水遊びに興じていた。
川底にはヴィシュヌ神とブラフマー神の象や
千本のリンガと言われる彫刻が施してある。
山の頂の川底に神を祀る事で、川下果ては彼らの世界の全てに神の力を分け与えようとした。
というよりは、神となった彼自身も神の力を得ようと必死になったのかもしれない。
プノンクーレンの登山道を下る時、最後の方で視界が開けて立ち止まった。
当時にも文明は在ったとはいえ、やはり大自然は恐怖の対象であり続けた。
遠くからその姿を見つめるだけだった男は、ついにそこを征服し、自らを神と名乗った。
しかしそこに残されていたものは、神を畏怖し、抗い続けた人間の痕跡だった。
PR