1月6日の夜。
一人部屋で過ごしていると、突然、夜空に花火が上がった。
年明けから数日が過ぎての花火。
理由は翌日に解った。
1月7日。
プランピー・マカラと呼ばれている。1979年1月7日にポル・ポトの支配から開放された事を祝う記念日だ。
ベトナムへ逃亡した下士官達がベトナムの支援を受け、反ポル・ポト軍を組織し、プノンペンよりポル・ポト率いるクメール・ルージュを掃討したのだ。
歴史の年表上では、ここでポル・ポトの虐殺は終わったかのように書かれている。
しかしこの後、ポル・ポト軍はタイ国境付近へと退却、非公式にタイに保護をされ、またアメリカやイギリスからの支援を受けながら、国連が介入するまで闘争を続けていった。
朝、会社へ向かう途中、通りの幾つかが封鎖され、各政党のオフィスで政治家によって、開放記念日についての演説が行われていた。午後に行った時にはすでに終わっていたのだが、そこにあったたれ幕がその内容を物語っていた。
そこには「1月7日は私達の第二の誕生日」と書かれていた。
昨年のこの日、フン・セン首相は30年前のこの日にカンボジア全土が開放された訳ではない事を認めつつも、ポル・ポトの支配から解放の象徴の日であると語った。
開放された事を祝うために祝日を設けるほどの出来事。
その爪痕は未だ多くの人の胸に残っている。
PR