アンコール・ワットと並ぶ、アンコール遺跡群の主要観光地の一つ、バイヨン。
「アンコール・ワットを正統とするなら、バイヨンは異端と呼ぶしかない。」
JASA共同代表の中川武氏は、バイヨンについてそう記している。
バイヨン以前のアンコール遺跡はヒンドゥー経寺院であるのに対し、バイヨンはシヴァ信仰・ヴィシュヌ信仰・仏教や土着信仰まで取り入れた複合寺院である。
それだけでも、十分興味深いが、なによりもデザインが他の寺院とは一線を画している。
林立する巨大な顔、顔、顔。
ジャヤバルマン7世の時代に建造されたと言われているが、では一体誰がデザインしたのだろう。
王自身がデザインしたのか、それとも別の誰かなのか。
この独特の世界観で、誰に、何を訴えたかったのだろう。
かつて、ピカソにキュビスムの絵を見せられたマティスは大層腹を立てたらしい。
その後、ブラックも参加した絵画展に対しては、批判演説まで行われたと言う。
このバイヨンに対して、民衆の反応はどんなものだったのだろうか。
ジャヤバルマン7世という王は、多くの病院や寺院、道路整備、また宿場を造り、さらにアンコール・ワットの奪還という大仕事をやってのけている。
その事もあって、民衆からの反発は少なかったのかもしれない。
バイヨン。
その個性的は姿は、アンコール建築の集大成であるアンコール・ワットを超えようとした、王の苦悩が表れているようだ。
苦悩の姿をさらし、数々の疑問を投げかける造形や、アンコール・ワットに対する思いは、まるでモナリザに対するデュシャンに似ていて、親近感が沸くが、理解し難い。
しかし、その魅力が尽きる事はない。
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