雨季だと言っても、日本の梅雨のように毎日雨が降るわけではない。
数日おきに、大粒の雨が1m先の視界を遮る程、1時間近くに渡って降り注ぐ。
降るだけ降らせたら、後は快晴。
雨の後の空があまりに青い為、時々合成写真のようになってしまう時がある。
それでも晴れ間の写真が撮りたくて、農村へと自転車を走らせた。
強い日差しを避ける為、若干顔伏せながら、前へと進んだ。
1kmほど進むと、田植えをしている人達が見えてきた。
そちらの方から、なんとなく歌も聞こえてくる。
笑い声も聞こえるから、即興で歌でも歌っているのか。
ファインダーを覗き、シャッターを切る。
そして中のプリズムが光を失う。
その時だった。
突然、海馬の奥の奥にあって、普段は意識しても思い出せない記憶が蘇ってきた。
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その時も自転車を漕いでいた。
その日は朝早くに起きて、近所の桃畑へと向かっていた。
そこの端に立っているクヌギにはクワガタが集まっている。
他のやつに先を越されないように、懸命に漕いでいた。
早起きの甲斐もあり、無事に捕獲を終えると、また自転車を漕ぐ。
一旦、家へと戻り、クワガタを虫カゴにしまうと、今度は釣竿を持って急ぎ出る。
釣りのポイントも先を越されては行けないから、懸命にペダルを漕ぐ。
途中、農家のおやじ達とすれ違う。
イチゴ農家の軽トラ。
米農家のトラクター。
トラクターの上から歌が聞こえる。
裕次郎?
おやじの歌は判らん。
おやじ達が挨拶をしてくるが、無視。
何故なら、俺は急いでいるのだ。
ん?
急いでる?
何故?
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ここで一旦、追憶は途切れた。
もどかしくも思ったが、無理に繋ごうとはしなかった。
昔は漕ぐことしか知らなかった自転車のペダル。
今は軽く回しながら、先へと進む。
アスファルトの道を右に折れ、今度は赤土の道を進んだ。
どこかで子供の声がする。
木陰で休む水牛の横を抜けると、視界が開けた。
ここまで来たところで、記憶の扉がまた開く。
そこでこれまでの幾つかの疑問に合点がいった。
カンボジアに来てからというもの、ただ自転車に乗っているだけなのに楽しいときがある。
その理由は?
そしてふと蘇る記憶。
俺は何故、急いでいた?
答えはどちらも同じ。
「夏休み」
だったんだ。
青々とした空。
一面の緑。
強い日差しと熱気。
まとわり着くような湿気からさえ、その季節を感じとる。
いつもすぐに夏休みは過ぎていくから急ぐ。
とにかく今日一日、目一杯遊ばないと終わっちゃう。
ずっと続けばいい。
そう願い続けた時間がここにあった。
おやじ達の歌。
農作業する人々。
アンコール王朝。
第二次大戦。
ポルポト。
忘れられた記憶もあれば、忘れらない記憶もある。
今ここに来て、この農村の風景の中に、時代を超えて尚、変わらない真実があるような気がしている。
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